テーマ: 人権 あなたのこころ色はいのち色してますか
ひと・ふれあい~いのちの輝き
こころ色・・・いのち色・・・生きて あるがままに! 他
ハープ奏者の池田千鶴子さんによる人権トーク・ハープコンサートが行われた。生のハープの演奏はもちろん素晴らしかったが、人権について語るその飾りけのない語りも心に響いた。一時間半のコンサートはあっという間に時が経った様に思うが、池田さんは多くのことをわれわれに伝えてくれた。一部ではあるがそのひとつを紹介したい。
山あいの福祉施設で出会った少年少女たち。そこは六年がかりで廃材で造った山小屋で牛、豚も同居していた。親に捨てられ、社会で人をあやめた少年少女もいて、心と今を温めながら生活し合っていた。コンサートの依頼に、その施設に向かった池田さんを待ち受けていたのは豪雪。ハープを包むため、何枚もの毛布をリアカーに積み込み、茶髪の少年が出迎えた。やっとのことで車からハープをおろし、彼に導かれ会場に向かった。会場は本当に手づくりそのもの、なかには彼らの手ぬぐいも会場に華を添える幕の一部として縫い合わされていた。しかし、それが彼らの精一杯のおもてなしだった。その後、施設を出た少年は下町の工場で油まみれになって働いている。せめて弟にあったかい靴下を買ってあげたいと思ったが、消息すらつかめなかったという。「ありがとう」「おがげさまで」の普段何気なく使う言葉が日々忙しい少年を励ましてくれるという。
池田さんは「ハープを通して、人のいとおしさ、ふれあい、命の原点、輝きを伝えたい」と語りかけた。
児童虐待、いじめによる自殺、殺人事件など心を痛める事件が後を絶たない。すべての問題の根幹で人権尊重の精神が失われていることにわれわれ大人は気付くべきだ。頭だけでなく心でそのことをキャッチしたい。また子どもたちにも感性のみずみずしいうちに、その心を養ってもらいたい。コンサートの最後はハープの伴奏で「ふるさと」を合唱し、温かな雰囲気とやさしさに会場全体が包まれた。
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ハープ奏者・池田千鶴子さんのコンサートの締めの曲は、うさぎ追いし―の「ふるさと」であった。日本人なら誰しも一度は耳にしたことのあるこの曲をハープで聴けるとは思わなかった。
池田さんから皆さんもご一緒に、との呼びかけもあり、百人近い聴衆はハープを伴奏に、それぞれが古里への思いを心に浮かべて、歌っていた。
ある人は本当に野山を駆け巡る自分の姿を見つけ。またある人は今は亡き母親のぬくもりを感じながら。
でも池田さんがハープで奏でた「ふるさと」は、郷愁だけではなかった。
文明の利器が幅を利かせるこの時代、見落とされ、ないがしろにされがちな、生き生きとした生への喜びを呼び戻すかのような音色があった。
それは音楽が与える安らぎを真に必要としている闘病者たちや今まさに人生の最後の時を迎えようとしている人々へ向けて積極的にハープ演奏を続けている池田さんだからこそ、出せた音であり、「ふるさと」にのせた彼女のメッセージだったのだと思う。
物事に感動し共鳴する胸奥の心情を表現するのに琴線に触れる、という言葉がある。琴線の語源は西欧のハープなど弦楽器から生まれたという。
先日、私はハープ演奏家、池田千鶴子さんの演奏会を訪れた。
ハープの音色はまさに琴線と呼ぶに相応しいものであった。またやさしく調和したメロディと同じく、力強い弦の響きに身体の奥底を震わせた。
海外での演奏機会も多いという池田さんには、忘れられない出来事があるという。
失明したばかりの外国人女性は、突然の失明という事態にショックで混乱していた。そんなとき、友人から誘いを受け、池田さんのハープを聴き、感動した。コンサート後、楽屋裏を訪ね、池田さんに向かって点字を習う事を約束し、立ち直るきっかけを得た。
また片足切断で車椅子に乗った二十代の女性がいた(日本人)。彼女はもう片方の足もすぐ切断しなければ命が危ないと医者に言われていた。絶望とわずかな望みのなかで、彼女の心も乱れていた。そんな時、池田さんのハープと出会った。
ハープは若い彼女の心に今を生きる勇気を与えた。こみ上げるものをおさえながら演奏直後の池田さんのところへ行き、もう片方の足の切断を決意した。
ハープの音色は、やさしく温かい。しかし、その調べは人の心を時として内省的にする。くじけそうな心を奮い立たせる激しさがある。ハープは心にそっと寄り添い、励ましてくれる、そんな楽器なのかもしれない。
本当に人の心を打つ音とは何か・・。それは、演奏家がその音に熱い思いを込めて何かを伝えることだと思います。これは写真や絵や文章でも同じこと。私にとってハープは、自分の思いを伝える一つの小道具にすぎません。
ハープの演奏を通して多くの方々や社会と出会い、様々な事を感じ取ってきました。
そして「生きる」とはどういう事かを学んできました。 そのことをハープの音色に託して私の音楽を聴いて下さる方々に伝えていきたい。FHI(国際飢餓対策機構)や米国のAIDSホスピスなどの活動に参加しているのも、そこで繰り広げられる悲惨な状況を自らの身体で理解し、それをハープの音で表現して多くの方々に伝えるためです。
そう語る池田さんのハープの音色は、どこか温かく、心に響くメッセージが伝わってくる。
多くの人が自分の持つ「人生の小道具」の存在に気付き、社会に対して活かしてほしい。
演奏をするのは、ハープ奏者の池田千鶴子さんです。
この演奏会は重障児病棟だけでなく老人性リハビリ病棟の皆さんも参加し、それに職員も加わって、会場は身動きが取れないくらいの人、人でいっぱいになりました。
子どもたちは目の前で本物のハープを見て、その大きさと豪華さにまず、びっくり。
池田さんが、日本の童謡をアレンジした曲を次から次へと演奏すると、子どもたちや職員はまるで清らかな川のせせらぎを連想させるような美しい音色に耳を傾け、曲が終わると、一人の子どもが「うまい!」と思わず感嘆の声。
ハープの音色は人間が無意識にそして本能的に求めている心の乾きを癒すような音色であると表現するのがぴったりです。
演奏後、子どもたちを代表して「ハープの音色がゆりかごのように心を温めてくれました。」といったお礼の言葉がこのことを証明し、心安らぐ一時間でした。
北海道旭川市に在る花と緑に囲まれた美しいガーデンにて、ガーデン・コンサートが開催された。ハープ奏者の池田千鶴子さんが大迫力のグランドハープを庭で演奏してくださり、集まった方々は音楽とガーデンのまるで絵本のような光景に感動。お天気も最高で、駐車場に長い車の列が出来るほど沢山のお客さまでにぎわいました。
演奏が始まると庭は静まり返り、ハープの音色が庭じゅうに響き渡ります。不思議なことが起こったのは、演奏が始まった直後。ハープの美しい音色に誘われたのか、庭じゅうのモンシロチョウが何十匹も会場に集まり、まるでつむじ風に舞う木の葉のようにひらひらと飛びだしたのです!
これには会場のお客様も私もびっくり。音楽の不思議な力を感じずにはいられませんでした。 音楽、人、花、昆虫・・・すべてがシンクロしたような、すばらしいコンサートになりました。
北海道立旭川美術館で行われているアロイーズ展は、いよいよクライマックスを迎える。企画立案から携わってきた者としては感慨深い。 この二年間、アロイーズを見つめ続けてきた日々だった。多くの時間を費やすことで、アロイーズ・コルバスという人物をとても身近に感じることが出来るようになった。
私は、昨年の十二月二十三日、ハープ奏者の池田千鶴子さんのアロイーズ展覧会内でのコンサートで、とても不思議な体験をした。
池田さんにとっては今展二回目の演奏で、クリスマス前日ということもあってクリスマスにちなんだ厳かな曲を弾いてくださった。
池田さんは「ヒーリング」というミュージックセラピー法の奏法で名高く、多くの苦難を抱えた人々のところに行ってはハープを弾き、人々の心に安らぎを与えている。
そのためには戦火のサラエボまでも行ってしまうのだから凄い。
十五年のお付き合いになるので、どれほど池田さんの演奏を聞いたか数知れないが、今回の演奏は今までとは違っていた。私はハープの音色に集中してアロイーズの絵を頭でイメージしつつ聞き入っていた。すると、リアルに緑の庭園の中で、ドレスを着飾った若々しいアロイーズが歌い踊っているイメージが頭に浮かんできた。内心びっくりしていると、そのアロイーズは私に微笑みかけてくるではないか。嬉しさのあまり涙が出た。まるでそれは現実のようだった。
アロイーズは子どものころから音楽を愛し、オペラを熱心に学び、教会では讃美歌を歌い上げたこともあった。アロイーズの絵の中にはきっと彼女の頭の中で奏でられていた音色が凝縮されて描き込まれていたのだろう。四十六年間の精神病院で隔離された生活とは裏腹に、彼女の心は、いつまでも若々しい自分が、愛する人と平和に踊り暮らしている日々だったに違いない。
そう思うと、私はアロイーズの精神世界をハープの音色に導かれて、訪ねることが出来たのかもしれない。
【工藤和彦・くどうかずひこ】
1970年神奈川県生まれ。陶芸家。知的、精神的な障害のある創作者の芸術活動を支援するボーダレス・アートギャラリー「ラポラポラ」のプランナー
2000年3月初め。ベトナム中部フエ市(人口三十万人)にあるストリートチルドレンの保護施設「子どもの家」でハープの演奏会が行われました。ベトナム戦争が終わって25年。 まだまだ戦争の痕跡の残るベトナムフエ市では、ピアノさえ見たことがありません。
そんな中でハープの演奏会が行われたのです。ちょっと前まで路上で寝泊まりし、物乞いをしていた子どもたちが、ハープ演奏をどう受け止めるのだろう。私は多少の不安と期待を持って演奏会を迎えました。 ハープ奏者の池田千鶴子さんが静かに演奏を始めました。子どもたちは、大きな目を見開いて聞き入っていました。 今まで見たことも聞いたこともない音を。
3歳から公園に寝泊まりし物乞い生活をし、ケンカに明け暮れていた13歳のL君の顔がやわらかな感じになりました。子どもたちの顔が何か「フニャフニャ」になったような気がしました。
演奏会は途中で、「子どもの家」の子どもたちがいつも歌っている歌の演奏となり、子どもたちは「音の魔法」から解けたかのように大声で歌い始めました。
「子どもの家」での演奏会が終わり、次は障害児のリハビリテーション施設「フエ平和村」での演奏です。果たして障害児がハープの演奏をどこまで理解できるのだろうか?
どんな反応をするのだろうか? 私は大きな不安を胸に演奏会に向かいました。
演奏会には障害児とお母さん、お父さん50人程が参加。静かに始まった池田さんのハープ演奏。段々演奏が佳境に入っていきました、普段は大声を出したり、多動な障害児が本当に静かに聞いているではないか。
私は、一人の障害児を見ました。子どもに笑顔が戻ってきているのです。
すやすや眠り始めた障害児もいます。子どもたちは気持ちがいいんだな、と私は思いました。
路上でけんかと物乞いに明け暮れていた「荒くれの子どもたち」や障害児の心に確実に何かを伝えた池田ハープの魔法の秘密は何だろうか。
しかし、東京など大都会でマスコミに乗って派手に活躍することも出来るのに、わざわざベトナムの地方農村のストリートチルドレンや障害児にハープを聞かせたいと願った池田さんの心が子どもたちに通じたのではないかとも思えるのです。
(2000年12月14日 ベトナムの「子どもの家」を支える会
ベトナム事務局長 小山 道夫)